もう戻らない

グリーンランドの氷床融解が

なんと簡素であっけらかんとした文章。事実のみの表現。

 

久々にブログを書く。帰宅してから自分1人の部屋を出て行くまで、室温を25度を保つ。そうでないと死んでしまう。「エアコンは贅沢品ではなく生命維持装置だ」母親にも口酸っぱく言っているけどは〜い;;と間延びした返事をするので聞いていないんだろうな。8月帰省した時も家が蒸し暑くて、そんな中扇風機のみで過ごしているのだから驚いた。私は自分の部屋を快適な温度に保つことになんのためらいもなかったけど、この家の家主は母親なので気が引けた。でもスイッチを押す。ピ。

 

今は連休開けから1週間の労働を終えて、毛布生地の冬用布団でこれを書いてる。

 

テニプリの幸村くんが読んでいたサン=テグジュペリの「夜間飛行」と読みかけの「三体」「鋼鉄都市」「はやみねかおるの文章教室」がつまれている。「彩雲国物語」も読みたいし、いつぞやのハーレクインものも読みたい気持ちをずっと温めている。

 

Twitterで140文字を追いかけるのは不健康だと思うのに、ついつい手が伸びてしまう。ロールモデルを探そうとする。

 

誰もが「今の自分は自分じゃなく、本当の自分になりたい」欲求があって、それを埋めるスターターキットを探している。これさえ購入すれば本当の自分に近づける気がして、一旦今の自分をリセットしようとする。世の中の個人向け商売は全部これのような気がしてならない。なぜなら私がそうだから。

 

「一年の系は元旦にあり」元旦の過ごし方がつまりその一年のあなたの在り方だ。周囲の5人の平均が今のあなただ。明日やろうは馬鹿野郎だ。つまり、今あるがままの私の状態が私そのものであって、変わろうと思っても簡単には行かないのだ。つらいね。

 

25歳になっても何者かになりたい。かと思えば何もいらなくて、地元でひっそり過ごしたいとすら思う。なんなんだ。ずっと思春期だ。自意識を拗らせたまま空想にふけって贅沢だ。何もしない贅沢。時間を空費する贅沢。